三分間モノローグ

日々の記録

最近の思考

根拠のない自信

例えば、目の前に赤い線と青の線がある

どっちかを切れば爆発するけど、どちらかを切らなければいけない

 

こんな時、絶対ハズレを引いてしまいそうだと思う人と

自分なら絶対、大丈夫たと思う人の二種類いる。


自分はどっちのタイプの人間だろう?

 

 

結婚について

結婚が恋愛感情を人質に取るのは無理がないか?と自分の両親や他の家庭、世の中の離婚率を見ていていつも思う

人間が2人、お互いにこの人と一生一緒に生きていきたい思い永遠を誓うのは素晴らしいことだ

でもそれって、恋愛感情だけにこだわる必要ってないんじゃないかとも思う

家族になるって恋愛感情がなくてはいけないのだろうか?そもそも恋愛感情を一生同じ人に持ち続けていられる人ってかなり少ないよな

例えば親友だったり、もちろん異性じゃなくて同性でもいいし、年齢がいくら離れていてもいいんじゃないか

もっと言うと、結婚って一対一じゃなくても良いかもしれない例えば仲が良くて、なんでも話し合えて信頼関係のある三人がいたら三人で結婚するのもアリなのではないかと思うのだ

家族って恋愛感情ではなく、絆が繋ぐものだとしたらもっといろんな形があってもいいなと思った最近なのだ

 

生きる意味について

よく、生きる意味なんてない、死にたいといった声を聞く

根本から間違ってる、と思うのだ。

そもそも生きる意味なんてない。あると思ってるならそれは大きな勘違いだ。

ただそこには価値が横たわってるだけだ。どんな価値を付けるかはそれぞれのこれからの生き方次第だろう

だからとりあえず生きてみれば良いじゃないっすか?と答える

 

 

なんのために頑張るのか

本当に、追い詰められていてギリギリな時

それしかもう、見えなくて周りのことが全て霞んでいる時

本能なのか知らないけど、ワクワクするような、ゾクゾクするようなフェーズに入る時がある

これを世間ではゾーンと呼ぶらしいのだがそれだろうか


アドレナリンがガンガンに出て、瞳孔も大きく開いていて、周りの音も一切聞こえない、お腹も一日中空かなくて、無我夢中で一つのことに取り組む


終わった後は、もう二度とやりたくないと思っているのだけれど不思議とそれを望んでいる自分がいる

逆境ほど燃える、というやつかもしれない。


この経験をできるだけ多くしたくて、生きているのかもしれないと思う時があるくらいだ

いや、逆にこの瞬間しか生を実感できないのだ。

 

 

1人でいることについて

よく人と話していて思うのだが私は「寂しい」と言う感情が欠落しているみたいだ

重いものを運んでいるときや分からない問題があったときに誰か一緒に運んでほしいな、一緒に考えてほしいいなと思うことはあれど用もないのに誰かと一緒にいたいと思うことはない

かといって誰かに誘われれば嬉しいし普通に友達と過ごす時間はもちろん好きだ

ただ、1人でいる時間も同じくらい好きなのだ。

「1人でいる時間」と言うより「自分といる時間だ」

人間って1人でいる時でも何かしらの会話を自分の頭の中で繰り広げているのではないかと思う。

最近読んだ本や映画や友人との会話を思い出して、反芻しながら〜ってどうだっけ、〜は自分ならこうする、〜は本当はこう言う意味だったのではないかとかなんとかいろんなこと考えながら

そう、このブログのように