モラトリアムは続くよどこまでも
エッセイ
を、最近よく読む。
というか物語が読めないのだ最近。ファンタジーの世界に入り込むにはそれなりの体力が必要だ。その世界の住人になるために今までの常識や概念を捨て去って世界に入り込む必要がある。それに一度世界に入ってしまうと、本を途中で置く、と言うことが私にはできないのでまとまった時間が必要になる。よく、小学生の頃に歩きながら小説をめくっていた。一度転がり始めたらなかなか止めることは出来ない小石みたいなもんだ。
なのでエッセイを読む。短いし、作者と会話をしているみたいで楽しい。それに舞台は実在世界なので体力を使わない。自分を額に因縁の傷がある魔法使いだと思い込む必要も、エスパー持ちだと脳を騙す必要もない。
特にナイーブな男性芸人は私との脳のシンクロ率が高いみたいで「わかるー、それなぁ」相槌を打ちながらするすると読めてしまう。彼らのエッセイを読んで最近思うのが、コミュニケーションネイティブや生まれつきの陽タイプの人たちってこれだけ会話術や「ウケについて」研究しないのだろう。だから、山里涼太や若林や又吉があれだけ面白いのはコンプレックスの裏返しみたいなものだろう。
人ってみんな自分のコンプレックスや出来ないことに悩んで、解決策を探して練習したりしていくうちに元々ある程度それが得意な人をも凌駕してしまうのかな、と思ったりもした。好きこそ物の上手なれ、という言葉があるが下手こそ鍛錬の勝ちみたいなところがある。
世界政府
ウクライナとロシアについてのニュースが連日報道されている。
昔、世界政府を作れば世の中の問題や戦争は解決できると思っていた。けど、やっぱり人間のやることには私利私欲が必ず絡み世界政府を作ったところですぐに反乱軍やワンピースでいう所の革命軍が現れて淘汰されるだろう。
だったらAIに任せれば良いのではないかと思った。人間より平等で私利私欲を挟むこともない。ここまで考えてああ、サイコパスの世界のシビュラシステムはこうやって生まれたのか。と思った昼っ下がり。
CMを見ていて多部未華子、可愛いなと。と言うか歳をとって昔よりだいぶ可愛くなった気がする。
なんだろう?元々可愛いけど最近華があっていっそう可愛い気がする。画面に映るだけで一気に画角がツートーン明るくなる感じ。
いやそれだけです。「可愛い」に特にオチはない。
JK
さっきSunnyという映画を見た。
40代の人生半ばに差し掛かったお姉さんたちが、ヒョン何ことで再び高校生の頃仲が良かったメンバーと連絡を取り合い再集結する物語。
渡辺直美、篠原涼子、小池栄子、池田エライザ。広瀬すずと何やら豪華だったし普通にいいい話で泣いた。
なんか、洋画の方が好きだと思っていたが圧倒的に邦画の方が私は泣けるらしい。
映画を見ながら、今ももちろん楽しいけど中高生のときはなんかもっと「キラキラ」したような楽しさだったなと思った。あれを無敵というのだろう。
あと思ったのだが40代になって私は果たして連絡をまだ取り合っている中高時代の友達はいるのだろいうか。ということ。
周りは結婚したり子供がいたりして、私もきっと仕事で忙しくて。何歳になってもたまには昔の友人とご飯や飲みにでも出掛けていればいいなと思う。
青春の昔話を共有できる友達ってきっと何歳になっても大切だ。
Z世代
に、私の世代はギリギリ含まれないらしい。
今までゆとり世代や、「近頃の若者」枠だったがいよいよそこから漏れたんだなあとなぜか感慨深くなる。
まだまだ私はモラトリアムの途中だけど。
道草の楽しみ方
いい大人の条件ってなんだと思う?私は、寄り道を楽しめること、無駄を愛せること、1人の時間を大切にできること、価値観を押し付けないこと。
だと思う。つまりはどんな状況でも人生を愉しめるような遊び心だ。上記にもう一つ付け加えるなら運命を信じれること、だなと思った近頃。