三分間モノローグ

日々の記録

夢で逢えたら

 

 

昨日、一週間前にとうとうつかなくなった卓上ライトの豆電球を取り替えた。
10日ほど前から様子がおかしかったが、ついに一週間前の29日につかなくなった。
そして29日の朝に祖母も亡くなった。75歳だった。
私はちょうどその日に試験だったのでそれを知らされたのは2日後だ。

 


祖母はなんというか、世間一般的な「おばあちゃん」像からはかけはなれていた。
60歳まで高級車を乗り回していたし、70を超えてもエステやサロンに通い、恋人もずっといた。
彼女が割と派手な生活を送っていたのは若い頃に舞台女優をやっていたからかもしれない。

 


そんな風に、世間からかけ離れた「おばあちゃん」ではあったが、一つだけ確かなことがあった。
それは世界で一番私のことが好きだったということだ。
これは家族や親戚のなかでも明らかなことだった。
祖母は私だけを可愛がり、他の孫にはあまり目をかけなかったし、死ぬ間際もずっと私の写真を枕元に置いていた。

 


私が、無条件に人間に愛されていいということを教えてくれたのは彼女だった。
なんというか、私の自己肯定感の出処だった。

 


今年の2月、会いに行けてよかったと思う。
医学部の合格発表を一緒に聞けたし、一番喜んでくれた。
その時の喜びようは、凄くて次の日には祖母の友達で私が医学部に合格したのを知らない人は一人もいないくらいだった。


そういう意味でも少しは祖母孝行できたのかもしれない。
彼女の好きなカレーを作って一緒に食べれたのよかったと思う。
亡くなる10日ほど前も、1日前もテレビ電話できた。
1日前に、もうあまりでなくなった声で、日本語ではっきりと「がんばって」
と言っていた。


お疲れ様。乳がんを宣告されてからたくさん頑張っただろう。
今度は、私が頑張ろう。


たくさん、本当にたくさんの愛をありがとう。
もう抱えきれないくらいで、一生私の器はあなたからの愛で溢れかえってる


ここまで書いて、やっぱり自分はばかだなあと思った
こういうことは生前伝えないといけないのにやっぱりばかだなあ
本当に大バカ野郎だよ

 


今日、夢を見た。
祖母の部屋でひたすら泣いている私を祖母が迎えに来てくれる夢だ。
祖母を見た瞬間、力一杯抱きしめあった。
柔らかな胸に顔を埋めてたくさん泣いた。
泣いている私に祖母が約束してくれた。年に2回会いに来てくれると。
最初、5月1日と12月1日が良いと言ったが、それだと覚えづらいと言われたので、半年おきの6月1日と12月1日にした。


そこで夢は終わり、起きたら泣いていた。


また夢で逢えるのだろうか。
また会える日を楽しみに生きていよう。